いつもの笑顔

今日、先日亡くなった友人のご実家へ伺い、彼の遺影に手を合わせてきた。
久しぶりの再会だった。夕方早めに会社を出て、深夜まで彼のご両親と思い出話をした。
未だに信じられないが、遺骨と遺影を前にして現実を受け入れざるを得なかった。


ご両親は、悲しみを押し殺しながら、気丈に、時には笑顔で思い出話を語ってくれた。

子供の頃のことや病気になる前に、ご両親と行った沖縄旅行。(お母さん曰く、本人は恥ずかしそうで嫌そうだったみたいだけど・・・(^^;))
2年前に生まれた姪御さんを溺愛し、着られないくらい山ほど子供服を買ってきて、
弟さん夫婦が困惑してた話。
その姪御さんに名門小学校のお受験をさせると張り切っていた話。
着道楽で一度も袖を通してない洋服が山ほどあるとか・・・。
とてもおしゃれで自分のスタイルを持っていた彼を偲ばせる話だった。

そして病気になって入院していた時期のご両親へのやさしい心遣い。
入院中の数々の無駄遣い・・・。
僕が見舞いに行ったときも病室に液晶テレビとノートPCが・・・。
(体調の良い時、病院を抜け出してビックカメラやヨドバシを散策してたり、
 ネット通販で買いまくっていて看護士さんが目を丸くしていたらしい(^^;))

ご両親は、彼が長男でとても頼りがいのある男だったからついつい頼っていたと仰っていた。

お父さんは、彼を学者にしたかったらしい。東工大の大学院を出てそのまま博士課程にと
思っていたらしいが、「学者は給料が安いから嫌だ!」と拒否、子供の頃から好きだった宇宙関連の仕事を希望し大手電機メーカーへの
就職を決めたらしい。

自分がこうと決めたら、頑なに実行する。意志の強い子だった。曲がったことが大嫌いで
正論を押し通す。
よく家でも怒っていました・・・でも、言ってることは納得できて、そのあと優しい言葉をかけてくれたりする。
そんな子供だったとお母さんが懐かしそうに語っていた。


ある時、お母さんが、彼にこう言ったらしい。

「お父さんとお母さんが老人になったら面倒みてもらわないと、のたれ死んじゃうよ!」


彼は怒った口調で

「嫌だよ!のたれ死なないように老人ホームに入れてやるよ!もちろんお金は全部出してやるから・・・」




すごく理解できる・・・(^^;)。いつもそんな感じだった。

怒ってるようで暖かい。他人を思いやる気持ちは人一倍強いがそれを他人に悟られないように
一見冷たい返答をする。ご両親には、心配をかけるからと自分の死期について何も言わなかったが、
弟さんには「両親には言うなと前置きをして、後のことをしっかり頼む」と伝えていたらしい。
彼の遺品から見つかった闘病日記には、「死ぬのは決まっている。あとはどう覚悟するかだ!」と
書いてあった。

病気が発覚した時、医師から余命は月単位ではありません。と告知を受けていたらしい。
それから1年と2ヶ月。彼は強靱な精神力とご両親の愛情のおかげでここまで生きてきた。


ご両親は、横浜の実家から飯田橋の病院まで毎日通ってたらしい。
病院食は不味いからとまるで手をつけず、お母さんの作った手料理を食べ、
いつもの笑顔で「ママリーン」とか「ママン」とか言って
目一杯甘えていた。ご両親に心配かけまいと明るく振る舞っていたと思う。

一時退院した時は、念願だった職場復帰を果たし、当初からの中心メンバーだった彼は
gooさんとの共同記者発表会に参加してくれた。

ご両親と共に映画を観に行ったり・・・、
おいしいラーメン屋さんに行ったり・・・、
自宅でご両親にパソコンを教えてあげたり・・・、
お母さんの好きな料理を検索してあげたり・・・・

大学入学時から一人暮らしを続けていた彼は、ご両親を気遣いながらもほんのひとときではあるが充実した日々を過ごすことが出来たようだ。


彼の話をご両親としていると、霊前のロウソクがゆらゆら揺れて会話を聞いてくれている気がした。

ご両親から、本人が喜びますからまた会いに来てやってくださいとお言葉をいただいた。
夕方から終電近くまでお邪魔したが、まだまだ話足りない。

鈴木さん、またお会いしましょう。